父とカシオと新宿と丸の内線

昨日、ある用事のために、父と出かけた。
帰りに歌舞伎町を二人で歩いてた時に、ふと、父が言ったのは
「そういえば昔、新宿で丸の内線に乗り換えて銀座まで通っていた」
という、今まで一度も聞いた事がなかった話だった。

父は、カシオ計算機で機械設計の仕事をしていたのだが、入社してからの何年間かは
日本の各地に一定期間滞在してリレー式計算機の修理や販売をしていたのは以前から聞いていた。

しかし、銀座の話は始めてである。
父の実家は、所沢にあった。戦時中は黒門町に住んでいたのだが、疎開先の所沢にそのまま居ついてしまったみたいだ。
所沢からだから、西武線で新宿まで出、丸の内線に乗り換えていたのだろう。

ただ、ひょっとして別な会社に勤めていた時なのかも知れない、という予感がした。
父はカシオに勤める前は別なミシンの会社に数年勤めていた。
その後、創立間もないカシオに転職したのだ。
でもその頃はカシオの何処の部門も銀座にはなかったとおもう。
もしかして今まで黙っていただけで、本当はその前にも別な所に勤めていたのか?

父に聞いてみた。何処に通っていたの?
父曰く「内田洋行」

詳しく聞いてみると、カシオの計算機の販売元が当時は内田洋行だったからだそうで。
なるほど、あそこの会社は事務用品なんかを扱ってたりするもんなぁ。
その後、父は、内田洋行は誰々が有能だったので云々」と語っていたがその部分は良く覚えていなかった。
知らない名前を聞いても即覚える事は難しい。

幼い頃、数字やアルファベットが沢山印刷されている、両端に穴が一列になって開いている紙を父が沢山持ってきてくれたので、私はその裏に落書きし放題だった。書いても、書いても紙はそこに幾らでもあった。
それがダンプリストであったことに気づくのはおよそ二十数年後である。
カシオがパソコンを開発していた黎明期の恩恵にあずかって、絵が得意になった。

残念ながらその後我が家にもやってきたパソコンは使いこなせず、未だにそんなにプログラミングは詳しくない。せいぜい簡単なHTMLが書ける位。

血と煙を吐きながら製品や工場のマシンの設計をしてきた父。
職場を離れてから十年。仕事の話を語る顔は少し穏やかになった。
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by denjiroo | 2009-02-03 18:21 | 日記

これまで、日々の雑感を書いておりましたが、鑑定士になりましたので伊勢流五行陰陽学に関連することも書いていきたいと思います。


by denjiroo
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