人気ブログランキング |

昭和・平成・令和


昭和45年生まれなので、成人ちょっと前までは昭和を生きていた事になる。福生病院で産湯を使い、羽村町の土手でアヒルと戯れ雑草を摘み
借家の近所のプール側の売店「ターザンの店」で当たりつきアイスが連続5本当たったりしていたが、小学校入学半年前に秋川市に引っ越し。
農協で紅白帽や名札を買い、プールではカエルと一緒に泳いだ。冬はサマーランドにスケートリンクが出来た。
ちなみに、この当時は、青梅にもスケートリンクがあった。父に連れて行ってもらった時に、転倒した私の後ろからスピードスケート用のスケート靴を履いた父が…
指は切れたが、切断までには至らなかったのが不幸中の幸いだった。
何が書きたいかというと、当時はスケートリンクは身近にいくつもあったのに、今は一つもないという事なのだ。昭和の時代はスケートリンクとかボーリング場とか、
スポーツを楽しめる施設が今よりも身近にたくさんあったような気がする。

小学校では浮いた存在になり、母は私立中学受験を考えるようになった。
六年生になると、電車を乗り継いで昭島の塾まで通っていた。毎日が寝不足だったが充実していた。

結構、受験勉強は出来ていたと思うのだが、受けたのは試験3日、通常の入試は行わない桐朋女子と、形だけでもという事で学芸大附属の2校だけだった。
学芸大附属は落ち、桐朋女子に6年間通う事になる。もっとも、母は最初から桐朋しか考えていなかったようだ。
ここで、自分がいかに普通のつまらん人間であるかと思い知らされた。鉄道が気になるようになったのもこのころからなのだが、当時は特撮とアニメと天体と怪奇幻想小説で手一杯だった。
高校3年生の秋、父が目の前でいきなり倒れて吐血した。胃潰瘍を放置していたのだった。出血量が多く見えるのは胃液で薄まっているからで、血液を洗うには洗剤を使わずに水だけの方が良いと救急隊員に教わった。この時に何もかも嫌になり、共通一次試験も放棄して、東邦大学の指定校推薦を受けた。
母が煩わしかったので、どこでも良いから遠くの大学に行こうと考えていて、東邦ならちょうどいい遠さだったというのもある。それまでは、漠然と北海道の帯広畜産大学とか、琉球大学医学部を受験しようとか考えていたのだが、千葉県船橋市で落ち着いた。

大学に入る前に平成になり、バブルとは何ぞやと船橋市の雨上がりのぬかるんだ畑に膝まで浸かりながら思い、
結婚 出産 子育て 弔い 弔い 電兄弟 弔い と平成の30年間は慌ただしく過ぎて、あと2週間で令和だそうで。

まあ、この年までよくぞ生きていたもんだ。こうなったら、更に次の年号まで頑張りたい。

写真はウメノキゴケ(地衣類)
令和に因んでみた。

b0001619_00171872.jpg



トラックバックURL : https://denjiroo.exblog.jp/tb/29368535
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
by denjiroo | 2019-04-16 00:18 | 想う事 | Trackback | Comments(0)

これまで、日々の雑感を書いておりましたが、鑑定士になりましたので伊勢流五行陰陽学に関連することも書いていきたいと思います。


by denjiroo
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31